ハゲはどこからハゲなのか。ハゲってなにさ。

ハゲについて真面目に考えてみた(※わたしは禿げていない)

最終更新日:2017年11月28日

禿(ハゲ)

はげ【禿】
(1)毛髪がぬけ落ちた状態。また、その部分。
(2)禿頭(はげあたま)。また、その人。
(3)山などに樹木のないこと。禿山。
広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

男性に生まれたからには誰もが覚悟する現象。
私はアラフォーですが、現状のところハゲもハゲの兆候もない。
元々髪が細いので、10代のころ短髪にしてジェルやワックスで髪を立てたりすると、地肌がみえていた。
当時から、「自分はいつかハゲる」と覚悟をしていた。
幸いなことに、現在までハゲる兆候はないが、時間の問題であろうと覚悟はしている。
生命が尽きるのが先か、毛根の生命が尽き始めていくのが先か。

思うに、ハゲは運である
「たまたま天才に生まれた」「たまたまお金持ちの家に生まれた」「たまたま超絶イケメンに生まれた」
同じように「たまたま生涯フッサフサに生まれた」というのは運であって、イケメンでも金持ちでも変えられない。

男性がライフステージのどこかで直面し悩む「ハゲ」。
ハゲとはいったいなんであるのか。
どこからがハゲなのか。
わたしはもうハゲなのか。

ハゲと進化

「若はげ」は別として、少なくても男性の壮年性ハゲと進化は直接には関係していない。
なぜなら、ハゲとは、子を産み育てるのが終了した後の段階で、訪れるものであるから(少なくても人類が進化した時代において)。
進化とは自然淘汰である。
子を産む前、あるいは、子育て中に起きる現象であれば、進化になんらかの影響を与えてもおかしくない。
例えば、
「上空の猛禽類からみると、ハゲはピカッと光り発見しやすく、攻撃されやすい」
とか
「ハゲが気になって子育てがおろそかになる」
とかいう現象があれば、ハゲた男性よりもハゲない男性のほうが子孫を残しやすく、結果としてハゲは淘汰されるかもしれない。

そうであっても、家族や氏族などのコミュニティにおいて壮年男性の役割が重要であり、ハゲていない男性群のコミュニティよりも、ハゲている男性群のコミュニティのほうが生存に有利である、というような事実が人類史上あったのであれば、自然淘汰の対象となりえる。

しかしながら現状を見てみると、多くの男性はハゲる。
寿命をまっとうした場合に、ハゲるかハゲないか、でいえば、ハゲのほうが多数派であり、
ハゲは進化に影響を与えない」or「ハゲのほうが進化において有利であった」と言える。

類人猿からホモ・サピエンスへの進化の過程をみてみると、全身の毛はあきらかに少なくなっている。
頭髪や局部だけに豊富な毛が生えているホモ・サピエンスは進化の途中の段階であり、ハゲはむしろより進化した新人類の萌芽であるのかもしれない*。

*「進化」に方向性はなく、「進化の段階」を後からみた場合に、あたかも「目的」や「方向性」「意味」を感じるだけである。
 今まで毛が少なくなる方向に進化をしたからと言って、今後の進化もその方法を踏襲するわけではない。

 つまり、ここで言っている「ハゲが新人類である」という言明は、誤りである。
 環境や状況により、あたかも「退化」したかのように見える進化も、通常の進化である。

ハゲの社会的評価(ハゲなジェンダー?)

医学的な性別・性差(sex)ではなく、社会的な性別・性差のことをジェンダー(gender)という。
ジェンダーはア・プリオリなものではなく、社会が作り上げるものである。

同じように、「ハゲのジェンダー」があるのではなかろうか。
少なくても日本において、ハゲは喜ぶべき現象ではなく、恥ずかしいもの、かっこよくないもの、と一般的にされている。
これはもちろん社会的なものであり、ハゲのジェンダーと呼んでもいいものであろう。

男性の多くは寿命を迎える前にハゲる。
禿のほうがマジェリティーであるのに、ハゲというだけで迫害を受ける。
これはどういった現象であろうか。

ひとつには、老年と若年で言えば、若いほうが素晴らしい。若いとは、それだけで素晴らしいことである、という価値観があるように思う。

主に壮年から老年にかけて生じる現象であるハゲは、「老い」の象徴であるとも言える。
「老いた人」を嘲笑するような風潮が社会にあるのではないか。

もうひとつ考察を加えると、ファッション誌や映画に出てくるモデルや俳優の多くは、ハゲていない。
おじさんが活躍するハリウッドのアクション映画は別(※)であるが、「カッコいい」とされる人の多くはハゲていない。
ダンディーなおじさんとして浮かんでくるおじさん像は、やっぱりハゲていない。

※彼らはハゲてもそれを補って余りあるほどの美貌を持っている。

ハゲていないほうが若くてカッコいい、という評価から
→ 俳優やモデルはハゲていないほうがいい → ハゲていない俳優を起用 → やっぱりハゲていないほうがかっこいい
と連鎖していったのではないか。

ハゲの歴史は知らないし調べていないが、各時代や文化において、「ハゲ」がどのように評価されていたのか、興味深い。

少しだけ考えると、人間の寿命がここまで延びたのはごく最近のことである。
かつて、あるいは現在でも一部の地域では、壮年性ハゲが発症するくらいの年齢までしか生きることが出来なかった。
つまりハゲは極めて少ないマイノリティであってとも言える。
一部のエスキモーには、年老いた親を殺す、と言う文化もあった。
共同体の成員が生き残っていくために、役立たずとなった老人を切り捨てるのは、とくに珍しい文化ではない。
「老人はだいたいハゲている」→「老人は役立たず」→「ハゲは役立たず」という認識があったのかもしれない。

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)』のように、ハゲの由来も誰か調べてあるのかしら。

さらにもうひとつ。

このハゲー!」が流行語になりそうな勢いであるが、「バカ・アホ」と同じように侮辱語として「ハゲ」を使っている。

身体的な特徴を表現した侮辱語はたくさんある。
「出っ歯」「つり目」「アゴ」「デブ」「ガリ」「チビ」「ノッポ」など
これらの身体的特徴が望ましくない・美しくない、と思われる社会だからこそ、侮辱語として成立するといえる。
日本で「小顔」と言えば褒め言葉であるが、国によっては侮辱語になるらしい。
つまり日本では「ハゲ」は美しくない、望ましくない身体的特徴である、と考えられている。

美学」の観点からも、ハゲが美しくない、とされているとみることができる。
美学とは、人間が美しいと感じるものやその理由を探求する学問である。
有名な例では「黄金律」。
人間が美しいと感じる比率がある。
モナリザやオードリー・ヘプバーンは、世界中の多くの人間が美しいと感じる。
ビジュアル的なもののほかにも、美しい音色・旋律などの音。
美しい公式など数学、素数が美しいと感じるように、数字にも美はある。
私はプログラマーとして活動することもあるが、美しいプログラム・コードは確かにある。

それら「美しい」の共通点を探ってみると、「秩序」であるように思う。
ある一定の法則・秩序があり、その秩序に完璧に従っているものは美しい。
逆に、秩序がないと美しくない・醜いと感じる。

ハゲは「禿げ散らかす」という言葉があるように、無秩序なハゲだと美しくないように思うのではないか。
ハゲ単体ではなく、顔全体や全身単位でみたときに、禿げ頭と顔や身体が調和していれば、それほど見た目を損なうものではないように思う。
ハリウッド俳優はそういう例であろう。
つまり秩序だった禿げは美しく、時にその人の魅力を増加させることもある。

ハゲの段階

いったいどこからハゲなのか。
生まれつき額が広い人は、子どもの頃から「ハゲ」(あるいはデコ)と呼ばれたりする。
ベジータはハゲなのだろうか。
それにしてはハゲが進行しているようには見えない。
同じサイヤ人のナッパはハゲており、サイヤ人でもハゲは進行するはずである。
となると、ベジータはハゲではなく、もともとM字ハゲ風の生え際なのかもしれない。

フランスの科学哲学者ジョルジュ・カンギレムの著作「『正常と病理』(法政大学出版局, 1987年) 」は、哲学の範囲を超え様々な学問に大きな影響を与えた名著である。
正常とはなにか?
病気とはなにか?
多数が正常であるとするのであれば、虫歯がある人のほうが多数はであり、虫歯が正常になってしまう。
肥満率の高いアメリカでは、肥満が正常であるということになってしまう。
これより、禿のほうが少数だから(あるいは多数だから)異常であるということにはならない。

生まれつきの状態が正常であるとするのであれば、髪や爪を切るのは異常なのであろうか。
筋トレをしたり、スポーツを習熟したり、知識を身につけ脳細胞の構造を変えることは、異常なのであろうか。
もちろんこれらも異常ではない。

つまり、ハゲはそれ自体異常ではないし、どこからハゲなのか、といった問いも、確実な答えはないのかもしれない。
おそらく、10代半ばくらいの生え際・毛量から、ネガティブなほうに継続的な変化が始まったら、ハゲなのであろう。
そうであっても、それは本人にしか(あるいは本人にも)わからない。

街行く人を「あ、ハゲだ」と思うのは、やはり社会的なものであり、その個人の経験によるのであろう。

つまり、ハゲは社会が作るのである。

同一人物の写真をPhotoShopで「ハゲの諸段階」に加工して、アンケート調査をしてみたい。
もう誰かやってそうだけれど。


※本記事では、「はげ頭」という意味の「ハゲ」と、「はげた人」という意味の「ハゲ」を区別せず使っています。
※本記事は真面目な考察ではなくただの雑文です。

※サムネイル画像は「www.photo-ac.com」

コメント(1)

1 Thomasgoofe

Living in France is one thing desired by many individuals. If you want to live in France then you have to get French property. You can read the advertisement section of the newspapers which has the section of houses for sale in France. After making a suitable choice, you should research about the properties for sale in France. French property is now a days very much wanted also.

If you want to live in France and spend your life there you should select a proper house. French property is not cheap and you need to make a major investment. You must also know about the properties for sale in France at various locations. The houses for sale in France come in different prices depending on the location

  • ※コメント確認画面はありません。
  • ※コメント投稿後は再読み込みをしてください。
CLOSE ×