今目の前にあるものの来歴や行く末

人はひとりでは生きていけない

最終更新日:2017年5月9日

今目の前にあるものの来歴や行く末。
考えたことがありますか。
普段、まったく気にせずに購入し消費し破棄しています。

  • ・ブラッドダイアモンド
  • ・金採掘の闇
  • ・100円コーヒー
  • ・ファストファッションの闇
  • ・家電製品の墓場
  • ・食物


今、ちまたに溢れる格安商品の多くは、低価格を維持するために、悲惨な境遇に置かれている人たちが関わっています。

「おいしいコーヒーの真実」「ありあまるごちそう」
など、ドキュメンタリー映像もあります。

何も考えずに過ごすこともできますが。
ちょっと考えてみることもできます。

ネガティブな面ではなくても、今目の前にあるものは多くの人が関わったうえでここにあります。

例えば私がいまこれを書いているパソコンは、膨大な数の部品で構成されていて、世界中のいろいろな場所で働く人たちの労働の結果で、販売店の人や、ネットショッピングのホームページを作った人や、配達してくれる人、パソコンをデザインした人もいるし、電気がなければなにもできないし、部品ひとつを作るのにも多くのひとが関わっている。

私はいまこの記事を朝カフェで朝食後にお茶を飲みながら書いていますが、スタッフは感じのいいお兄さん。
おそらくインドかネパール系の方です。
厨房のスタッフもおそらく同郷の方でしょう。

私が今飲んでいる紅茶は、スリランカやインド産だと思います。
農園の方が育て摘んだ茶葉が仲卸業者をへて船で運ばれ、日本に到着。
港湾作業の方や運搬するトラックを運転する方、お茶の業者の方、各店舗を配達する方。
横方向でみてもいろいろな方が関わっています。

縦方向でみてみると、大英帝国によるインド周辺の植民地化がなければ、今この紅茶はここにないか、違う形でここに届いていたのだと思います。
紅茶を発明した人もいれば、このカフェを創業した人もいます。
そしてもちろん、私がここに存在していることも同様に、さまざまな要素の結果です。

だから物を、この瞬間を大事にしよう。
とは言いません。

現在は大量生産大量消費の社会です。
善くも悪くも。
物を大事にするということは、消費が減ります。
生産者はものが売れなくなり、経済は停滞します。
だからといって浪費を続ければ、資源は枯渇し、環境問題など取り返しのつかない問題が深刻化します。

私は予言者でも宗教家でも経済学者でも社会学者でもないので、どちらが絶対に正しいと言うことはできません。
でも、時には「目の前にあるもの」を考えてみたい。

今私がいるところは、数十年前に焼け野原となりました。
多くの方がなくなりました。
そのまた数十年前にも、大きな震災被害がありました。
その数百年前は、日本のはずれ、辺境の荒れ地でした。
山賊が住んでいたかもしれません。

今、私の隣の席のご婦人がおいしそうに食べているハムは、少し前までは快楽や傷みを感じ生命を謳歌していました。

現在社会は、ひとりでも生きていけます。
職業によっては、誰とも会わないで収入を得ることもできるでしょう。
でもちょっと目を向けてみると、多くの人やものが関わっていることがわかります。

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